協力隊員活動記 ~キリマンジャロ山麓の農村で現地民と暮らした2年間の記録~

青年海外協力隊(2015年9月~2017年9月)でタンザニアに派遣されていました。キリマンジャロの見える農村で様々な課題解決に取り組みました。

任期修了1年後の任地訪問 ― 協力隊活動の成果はいかに!?

◯1年後の任地訪問 ― 活動の成果は果たして。。。

 2017年9月に協力隊の任期が終了…。それから約1年後の2018年8月、任地の村を訪れました!2年間暮らした村は、2年間関わった農家はどうなってるんだろうか…。
 ということで今回は、2年間の活動の詳細も含めて、任期修了1年後に訪問した任地で何が変わっていたか、何が残っていたのかを報告します。

 

◯満腹になった挨拶回り

 乗合バス「ダラダラ」に乗って、2年間暮らした村へ。バスを下りた時は、懐かしさと帰って来れたことの嬉しさで自然に顔が緩みました。「シュウ!帰ってきたのか!」とたくさんの村人が僕の帰りを歓迎してくれたのはやはり嬉しかったです。帰省後3日はお世話になった村人への挨拶回りで満腹になるまで現地食をご馳走になり、忙しい日々でした。

 

 

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 ▲仲の良かったキマンボ家族。花飾りを作って帰省を歓迎してくれた。

 

 

◯販売停止状態のミニトマト事業 ― 事業継続の難しさ

 挨拶も終わり気になるのは、活動のその後。まずは初期から取り組んでいたミニトマト事業。帰国前は車で1時間半離れたモシの町にあるカフェや600km離れた首都ダル・エス・サラームまで出荷していたのですが、需要が安定せずに販売停止状態…。

 まあ予想はしていましたが、難しいですね。安定的な販売のためには継続的な営業活動や農産物そのものの品質の高さが重要となってきますが、毎日の家事や家畜の世話などで忙しい農民にとっては継続するのは難しかったようです。在来品種のミニトマトは潰れやすく長距離出荷に向かないことも大きな原因の一つかとは思います。

 

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 ▲当時、経済首都ダル・エス・サラームまで出荷していました

 

 やはり1年間、中心になって動いたボランティアがいないと事業は継続しないのか…と肩を落としていたところ…ありました!継続していたミニトマト販売!

 

 僕が対象にしていた農家は、村の中でも貧困層。母子家庭で子どもを何人も育てている彼女と一緒に、モシの町で、スーパーやレストランを巡って一緒に営業活動をしました。その彼女曰く、未だ継続してミニトマトをモシのスーパーに運んでいるとのこと。それだけでなく、モシに行った際に様々なスーパーやレストランに営業しているとのことです。一緒に営業回りをした効果があったようで、嬉しいですね。

 

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 ▲町のスーパーで販売されるミニトマト       ▲販売用ミニトマトの選別作業

 

 非常に小さな小さな成果ですが、こうして継続しているものがあると何とも言えない達成感と嬉しさがあるものです。

 

 

◯爆発的に普及したイチゴ栽培 ― 活動の中で一番の成功例!?

 帰国前、ミニトマトと合わせて普及・栽培指導・販売事業を進めていたものが「イチゴ」です。

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▲キリマンジャロ山麓の気候に合っていたようです

 

 イチゴという果物を全く知らない農家にイチゴの苗を配って栽培してもらう、と同時に販売先を探して営業活動をしていました。そして、モシ(村から車で1.5hの町)のカフェに契約販売していました。しかし、ミニトマト同様イチゴの販売も停止状態。高価格のイチゴのターゲット層は主に外国人。そして雨季と乾季が明瞭なタンザニアでは、外国人観光客の数は時期によって大きく変動します。そのためか、需要が安定せず、最初は珍しがって買ってくれてはいましたが、継続はしなかったようです。

 

しかし、このイチゴ栽培。果物の販売こそ停滞していますが、僕が最初に3つの苗を上げた近所の農家は、それから地道に苗を増やし続けなんと100株以上に増えていました。今や県内のイチゴ栽培のモデル農家となり、県庁の農業オフィサーを始め様々な人が彼の畑を訪れるようになりました。そして彼が力を入れたのは「苗の販売」です。イチゴは親株から出たつる(ランナー)から子株の苗を作ることが出来るのです。

 

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 ▲今やイチゴ栽培には誰よりも詳しいンマリさん。

 

 

 こうしてイチゴ栽培を学びたい訪問客に対して苗を販売を進めた結果、これまでなんと1,000株以上も販売したと言います。苗一つあたり3,000タンザニア・シリング(≒150円)で販売したというので、その経済的効果は3,000,000タンザニア・シリング(≒150,000円)。経済的効果も社会全体に与えたインパクトを考えてもイチゴ栽培が最も成功した活動だと言えるでしょう。

 

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▲大量の販売用イチゴ苗

 

 

 

◯JICAのボランティア事業を考える ー 継続の難しさ

「自分がいなくなっても継続する活動」というのを2年間で確立させることの難しさを身に染みて感じました。現地のニーズや価値観を理解するのに半年以上は絶対必要ですし、言語の壁や地域社会や同僚との人間関係の構築なんかを考えると、本当に意味がありそうなことが出来るのは、活動環境やボランティア自身の頑張り、運などもありますが、せいぜい1年後、1年半後がやっとです。
 そこから任期修了までの僅かな期間に継続性を考慮して、同僚や現地農民に全てを託してくることなど…相当難しいと思います。そんなこともあって、今回の「1年後の帰省」は村の人にとってもすごく良かったと思っています。
 ということで、次回は「1年後の帰省ー活動のフォローアップ」について書きたいと思います。

本当に援助が必要な人に援助を届ける ~僕が協力隊活動の2年間で意識したこと~

1ヶ月も前のことですが、協力隊の活動紹介雑誌「クロスロード」3月号に僕の活動内容が掲載されました。

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 ▲クロスロード2018年3月号
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 ▲見開き1頁の特集。農業隊員特集ということで紹介して頂いた。

 

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▲電話でのインタビュー後、編集者が文章を書くので見やすくて分かりやすい!

 

 

活動をこうして紹介していただくと、一定の成果が認められたという感じがして嬉しいですね。色んな人に助けられた2年間でした。派遣前・派遣前訓練・現地での活動支援してくれた方々、本当にありがとうございました。

 

 僕がそんな2年間の中で意識していたことは「成果にとらわれず信念を突き通すこと」です。これは決して「成果を残さなくてもいい」ということではありません。公人として派遣され、様々な支援を受けながら活動している以上、成果を残すことが求められるのは言うまでもありません。しかし、「成果」を意識し過ぎると信念を曲げて本末転倒になりかねないことに注意すべきです。僕の信念は「本当に援助が必要な人に援助を届けること」でした。

 

 「農村部での農家の収入向上」が目的の1つとされていた僕の活動としての成果を意識するなら県内に多数ある農民グループを対象に活動を行うことがやりやすく、基本だと思います実際に、農民グループは数多く存在し、肥料づくりも栽培技術も持っており、グループであれば資金面での補助もしやすいため、ドライフルーツ事業や農作物の販売事業など様々な案が浮かびました。具体的にこういうことを支援してくれと頼まれたことも多くありました。

 

 しかし、僕の信念は本当に援助が必要な人に援助を届けること。そして本当に援助が必要なのは農民グループの農家ではなく、村の中でも最貧困層に属する農家でした。農民グループに参加する農家たちは僕から見て「本当に援助が必要な人」ではありませんでした。実際、農民グループに参加している人は、経済的にも時間的にも比較的余裕のある人たちが多く、支援してほしい内容も、僕(JICAボランティア)がいるから、「何かしてくれるのであれば…」という前提で頼み事をしてくる人が多いです。一方、僕が活動対象にしていた最貧困層の人々は家事や農作業に追われ、農民グループに参加する時間的余裕もなく、現金収入が少ないので投資できる資金もありません。1日2食出来ればいい方で、1日1食(とチャイ)で生活しています。そういう人たちに限って、何かを支援してくれとは口にしないし、逆に僕にご馳走を振る舞ってくれたりする訳です

 

では、そんな生活をする農家の収入を上げるためにはどうすればよいのか。これが難しい…。そもそも現金収入が少ないから初期投資は出来ないし、まとまった時間を取るのも難しい…。農地も小さくて新たな作物の導入も難しい…。何度諦めて農民グループを支援しようと思ったことか…。しかし諦めずに解決策を探し続けた結果、少量で栽培しやすくかつ高価格で販売出来る農作物を見つけることができ、彼らの収入も上がりました。

 

最終的に活動成果として残せたものはありますが、決して莫大なインパクトではなかったと思っています。しかし、きちんと届けたい人に援助を届けられたという実感はあります。成果を出すことに固執し、農民グループを対象に活動を行っていたら彼らの収入を上げることは出来なかったと思います。もちろん、正解は1つではありませんし、僕自身反省もたくさんあります。ただ、結論として言いたいのは、自分が信じるものを貫けということです。自分の信じるものを徹底的に貫けるのが協力隊の2年間であり、現地の真のニーズに対応できるということこそが、国際協力における協力隊の強味なのではないかと思います。

 

 利益や数字、周りや組織・社会の目を気にしていては結局自分が何のために働いていて誰のための人生なのか分からなくなってしまいます。社会の歯車の一部になって働くのも大事だけれど、社会の枠に囚われない、新たな(自分らしい)ものの見方をすることこそが個人が持つ「価値」なのだと僕は思っています。夢を語る人だけで終わらないためにも、後はそれを社会に仕組みとして組み込むだけの力を持つために努力したいとは思いますけどね。

カラテは殴り合いを楽しむスポーツじゃない! - タンザニア人の誤解を解くための空手普及

タンザニアで外を歩いていると、謎の挨拶をされることがある。

 

「フーハー!」「チンチャンチョン!」

 

アフリカに滞在した事がある人は経験したことがあるかもしれない。前者はカンフーの掛け声(だと彼らが思ってる)、後者は中国語を真似て馬鹿にした挨拶である。
アジア人(中国人)が馬鹿にされていることは置いといて、今回は前者(カンフー)の話をしたい。

 

まずは、「中国人=カンフー」のイメージ。何だそのイメージ…。

アジア人=中国人=日本人で、まあ中国と日本の区別が出来ないのは分かる。絶対数を考えても中国人の数は多いわけだし。しかしなぜカンフーなのか。現地で長距離バスに乗ればその疑問は解決する。

 

長距離バスと言えば…そう、映画だ。バスの中で上映される中国映画は決まってカンフーものだ。俳優たちの肉体と運動能力を最大限に活用した素晴らしいアクション…。これがタンザニア人にとっての「中国人」であり「カンフー」なのだ。

 

映画を通じたイメージ伝達は大きなインパクトがあるが様々な誤解を生む。

タンザニアで生活している時、僕が実際に聞かれた質問に次のようなものがある。

 

「どうして中国人や日本人は殴り合うのが好きなの?」

 - 「いや、殴り合いが好きな訳じゃないよ…^^;」

「空手やってるの?じゃあバク宙してみてよ。」

 - 「バク宙は映画のパフォーマンだから。。空手やカンフーとバク宙は関係ないよ。」

「でっかいナイフみたいなんで切りあってるんでしょ?」

 - 「それは中国映画でしょ?笑 そんな危険なことはしないよ(^^) まあ確かに棒術やサイ術はあるけれども…」

 

・・・これは空手家として武道に対する誤解を解く必要がある。

そう思った僕は知り合いの隊員の学校や、自分の村の小学校で空手講座をやってみた。

(筆者は少林寺流空手道錬心舘空手道2段です)

 

 

 

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まずは「武道とは何か。」から。

複雑な説明は置いといて、伝えたことは武道の目的は何か。

- 肉体的・精神的修行。体も心も強くするために自分を鍛えるんだよ、と。

- 殴り合いのスポーツではない。殴り合いを楽しむのは目的ではない。飽くまで自分や自分の大事な人を守るのが武道の目的なんだと。…これは個人的見解ではあるが。

 

 

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準備運動して…

 

 

 

f:id:SHU-S:20180305122801j:plainいざ突きの稽古!みんな声はしっかり出てるけど…。
う~ん、ちょっと違うな~^^;


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やる気のある子を模範生徒として前に呼んで指導する。

 

 

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みんなの前で型を披露して…

 

 

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最後は組手!

 

 

~空手普及してみて思ったこと~

- みんな空手が大好き!組手の時間は特に大盛り上がりだった。

- 子どもたちにとっては空手家=ヒーローで、空手講座の後、「先生!僕のペンもらって!」と、ペンをくれた生徒がめちゃかわいかった。

- 身体能力はみんなすごい。一方で、動きが少し雑。肉体の能力に頼りがちか。体育の授業がないのも大きな原因の一つだったりするのかな?
- 楽しかった!

 

これを通してタンザニア人が日本、空手、武道に対する理解を深めるきっかけになることを期待したいです。

帰国 ー 逆カルチャーショックについて

こんにちは。久しぶりのブログ更新になります。

 

2017年9月末にタンザニアから帰国し、日本で生活を始めて半年近くが経過しようとしています。

 今回は、2年間タンザニアで生活した後日本に戻ってきた際に感じる、文化や常識の違和感、いわゆる「逆カルチャーショック」について書いてみたいと思います。


~帰国後の自分のFacebookの投稿から~

【日本に帰国して】
・電車の中が静かすぎて落ち着かない。
・外の景色を見て乾季か雨季か考えてしまう。
・電車降りてどっちに行ったらいいか迷ってると後ろからぶつかられる。
・駅で迷う。出口だと思ったら「乗換専用口です」みたいな訳わからんところに。
・駅で歩いている人達の顔が全員ひどく疲れていて心配する。
・初日からタンザニアホームシック。
・帰国していた先輩隊員に会えたときの安心感半端ない。
・後ろに知らない人に立たれると警戒して落ち着かない。
・とにかく不安感と違和感が消えない。
・服装が全員地味。
・後ろからの車の接近に警戒、夜街を歩くことが不安
・外国人(とくに黒人)を見ると親近感を感じる
・「いらっしゃいませ」に対する返答に悩む…。

帰国当時は色々「逆カルチャーショック」を受けてたんだなーと思います。笑
ちなみに、今は日本の社会や生活に慣れてきましたが、大きなギャップを感じていることがあります。

それはコミュニケーションです。店員の話し方は機械的で、すれ違う人は目も合わさず、挨拶だけの電話が来ることも少なく…。そしてそんな日本社会に自分が慣れつつあることにもストレスを感じています。
タンザニアは挨拶をとても大切にする文化です。しばらく話していない友人や近所の人からは頻繁に電話がかかってきたり、メッセージが入ったり。道行く人とは挨拶を交わし合い、初対面の人とも冗談を言い合ったり。

日本にいるとどうしても、空き時間が出来ると何かしていないといけない衝動に駆られ、予定のない日は予定を埋めようとし、毎日やらねばならないことを作ろうとしています。(これは僕の性格上の問題かもしれませんが…。)
日々の暮らしを楽しむこと、周りの人との時間を大切にすることをもう一度見直してみようと思います。

活動計画 ~赴任から半年を経て~

さて、気がつけばもう赴任から半年。任期の4分の1が終わってしまいました。早いものです、ホント。

 

 一時期やる気の出ない時期はありましたが、最近はまたやる気が復活し、精力的に動き回っています。 

 ちなみに、ここへ来て半年、一度も体調を崩したことはありません。(1日だけ微熱が出て寝たような...。)お腹の調子も万全で、無殺菌牛乳、10日間放置してヨーグルトになった牛乳、半熟卵、雨水、畑で拾った果物、川で獲った野生の果物…今のところ無敗です。


 本題に入りましょう。半年経ったら「活動計画書」なるものをJICA事務所に提出する必要があります。


 現地のJICA事務所で教わったことですが、協力隊の活動というものは「Want」「Need」「Capacity」の3つの要素から成り立ちます。
 

Wants:これは隊員が活動としてやりたいことです。

Capacity:隊員や活動環境による実行可能性といったところでしょうか。

Needs:配属先であったり、現地の人が隊員に求めるもの、「ニーズ」です。


これら全てが重なるところにあるのが隊員の活動になのだ、という説明をブリーフィングで受けました。

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▲JICA事務所で頂いた資料をもとに作成。

 

つまり、隊員はしたいことが全て出来る訳ではありません、ニーズに必ずしも応えれる訳ではありません、そして実行可能性にも制限されるということでしょう。

そう考えると難しいですよね、どんな活動するか、なんて。

さて、今回は僕の活動計画について、このWants、Needs、Capacityという3つの視点から分析しながら紹介したいと思います。

 

 

1.NERICAの導入・普及

 NERICAとはNew Rice for Africaの略。他の稲より早く育って畑で育つ「陸稲」なんです。アフリカでは多くの地域で専門家やボランティアがNERICAの導入に勤しんでいます。

 まだ稲作の行っていない任地、シハ県に導入しようというのがこの活動の目的です。

 

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▲写真はイメージです。実際の任地の写真とは異なります。(Moshi, Kilimanajro Agriculture Technology Centre にて。)

 

 Wants:NERICAに関して、実はあまり詳しい訳ではありませんし、稲作を普及させたいと考えていた訳でもありません。何気にJICAの稲作専門家から籾種を頂いたのがきっかけで始まった活動です。

 

 Capacity:稲作の行っていないシハ県では、雨季の雨を利用してNERICA1という品種の米を栽培することになりました。稲作が行われていないので、品種が混ざってしまうことがないところが安心です。

 

 Needs:さて、現地の農民の反応ですが、これが良好!配属先の農業課でも、稲作を導入しようと考えていたところで、グッドタイミングと言えます。トウモロコシ栽培に偏っていること、トウモロコシ食に飽きてきていること、「新しい農産物」に非常に強い興味を示すことなどを考えても、ニーズは大きいと言えます。

以上を見るに、NERICAの普及は「Needs」に特化した活動であることが言えます。

 

2.コーヒー有機栽培プロジェクト

  「キリマンジャロ」コーヒーの栽培地であるキリマンジャロの農村。赤く綺麗な実がなるコーヒーは病虫害に強くはありません。虫食いがあれば売ることは出来ません。
 なので農民たちは結構農薬を使うんです。ただ、その農薬が体に悪い。それを農民も分かってるけど、収穫量の問題で、農薬を使わずに栽培することを恐れているんです。

 

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▲熟したコーヒーの果実は鮮やかな赤色に染まります。

 

 

Wants:大学時代に調査を行っていた農村は、日本にキリマンジャロコーヒーをフェアトレード商品として輸出しています。
(参照URL https://www.kyowas.co.jp/torikumi/kyoiku_rukani.html 「Kyowa's Coffee の取り組み」)

まあその関係でキリマンジャロ山中のコーヒー栽培に関してはかなり詳しくなりました。なので任地に来たらコーヒーに関する活動を是非やってみたいと思っていたのが僕の思いです。

 

Capacity:任地であるシハ県では、有機農業の普及を推進するNGOがあります。オーガニックコーヒープロジェクトも行っているようです。そこでそのNGOと協力して任地でコーヒーの有機栽培プロジェクトを立ち上げよう!というのが目的です。協力隊員単独では厳しいこともNGOや他の団体と連携することでCapacityは広がるものだと思います。

 

Needs:農業課のコーヒー担当である同僚も賛同してくれました。「コーヒーの有機栽培がしたい」「農薬が体に毒だから何とかしたい」と農民が口にするのも耳にします。コーヒー農家の農民グループもあると聞いています。価格が低迷する中、コーヒー栽培を諦める農民もいますが、十分なニーズはあると見ていいでしょう。

 

この活動はWants、Capacity、Needsが全て上手く重なっていると思われる活動です。2年間の活動の中で最も力を入れていきたい活動の1つです。

 

 

 

3.農業新技術導入・普及

・使われずに捨てられているもみ殻を利用して作る土壌改良剤「もみ殻くん炭」の生成。

・バケツやホース、靴紐など、廃材を利用した小規模な低コスト点滴灌漑技術。

・食酢に骨や卵の殻を漬けて作る液体肥料。

・発酵有機肥料「ボカシ肥」の作成。

…などなど

 

こういった技術を現地の農民に伝えていこうという試みです。

 

Wants:これらはJICAが協力隊員に対して行われる事前研修やこちらへ来てからJICA専門家から教わったものなど、色々あります。それら僕が知っている知識や技術を単に伝えたいという思いからの活動です。

 

Capacity:小規模農民を対象とした活動なので全て低コストで出来ることを原則にしています。僕が現時点で彼らに教えられることをまとめるだけなので活動としては比較的容易かと思います。単独で動くことになります。

 

Needs:「知識が欲しい」「肥料の作り方が知りたい」という現地の農民から生まれた活動です。

この活動は、Capacityに焦点を当てた活動です。僕が出来ることを全て行う、出しきるものは出しきってから帰りたいというだけの話です。

 

4.小規模ビジネスサポート

 「コミュニティ開発」という職種内容の一つとして、「地域住民の生活向上」が挙げられます。現地の住民たちが自分たちで発展していこうとするのをサポートするのが望ましいかたちであるとされます。
 協力隊員として強く働きかけるのではなく、住民である農民自身が農民グループを作って、蜂蜜や牛乳などの農産物の販売していこうという動きを助けることになります。

 Wants:「コミュニティ開発」隊員のステレオタイプ的な活動の1つと言えます。「コミュニティ開発」隊員として農業を専門においた活動ではなくこういった活動もしてみたいです。

 Capacity:農民グループはたくさん存在します。そしてキリマンジャロ地域ではビジネスが活発的に行われています。僕が出来ることは市場開拓の手伝いや、ビジネスに関してちょっとした助言くらいのものでしょうか。

 Needs:実際に蜂蜜を作ってる農民グループの代表の方から頼まれたことがあります。「日本人である君の人脈から何とか市場を作れないか」と。農業の問題点の1つに市場へのアクセスが乏しいことが挙げられます。


5.格闘技術向上プロジェクト(おまけ)

同じくタンザニアで先輩隊員が柔道を指導している警察学校があります。そこでKOICA(JICAの韓国版)隊員がテコンドー指導を行っています。


 で、一度一緒に練習したことがあります。20年以上テコンドーの稽古を行っている上にキックボクシングまで経験している彼の戦闘力は半端なものじゃありません。しかし僕の見立てでは、全盛期の頃の戦闘力を取り戻せば勝てない相手ではないと思っています。
 まずは自宅の庭での型の稽古、基礎体力作り(ランニング、筋トレ)、ミット打ち(樹にミットをくくりつけて打ち込む)を十分に行い、動画を見てテコンドー・キックボクシングの動きを研究した上でイメージトレーニングを行い勝負に挑もうと思っています。
 これに関してはまた別記事で詳しく書こうかと思います。

 

6. 最後に

以上、非常に長くなりましたが活動計画でした。活動計画どおりに活動が進むとは限りませんが、飽くまでも半年経った時点での予定です。半年という活動計画準備期間もちょうどいいものだと僕は感じました。

 

 活動に関しては個人の力量ではなく、配属先・任地の活動環境によるものが非常に大きいような気がしています。活動環境に恵まれた僕としては何とか成果を残して帰りたいものです。

 

 それぞれの活動に関してこれから定期的に報告していきたいと思います。

大雨季の到来 ~人間活動の本質とは~

昨日の出来事。気温、風、空や雲の流れを見ていてふと感じた。

 

 

「雨季が来る…」

 

 

その日の夕方のことだった。少し小雨が降ったかと思えば、まもなく暴風とともに豪雨が襲来した。

 

タンザニアはサバンナ気候(サバナ気候)。Awという記号で表されれる。熱帯気候の1区分で、乾季と雨季が明瞭に区別され、乾燥に強いバオバブの樹などがまばらに生えるいわゆる「サバンナ」のような気候である。

 

タンザニアでは乾季が7~9月、小雨季が10月~12月にあり、2月末~6月が大雨季である。大雨季には全ての畑が耕作され様々な農作物が育つ時期。

その大雨季が始まったのだ。

この雨を待ちに待った農民たちの歓喜の思いが伝わってくるせいか、僕もなぜか無性に嬉しい。無駄にテンション上って外に出てみたら、一瞬でびしょ濡れになってしまった...。


「恵みの雨」とはよく言ったものだ。雨水に依存した天水農業をしていると、この雨の有り難さが身にしみて分かる。
結局人間なんて自然に生かされる存在でしかないのだ。地を耕して家畜を育て、天からの恵み、力の恵み、そして命を頂くことにに感謝して日々の生活を送る。

 

 


人間が本来あるべき姿を農業に感じたのは僕だけだろうか。

 

 

 

なぜ生きるのか、どうして働くのか、自分のしたいことが分からない…。

そんな疑問湧いてくる余地もない。自然とともに生きていれば。人間社会というちっぽけな箱の中だけで息苦しい生活してるからちっぽけな悩みなんていうものが出てくるんじゃねえか、という単純かつ馬鹿な発想が僕の持論です。

 

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人間活動の本質は農業にあり。・・・だからこそ。

世界の大きな問題のほとんどは農業がその中心にあり、農業からのアプローチでほぼ全ての課題を解決することが出来る。

農業こそ、現代世界の鍵だという信念のもと、活動に精を出していきたいと思います。

 

協力隊の活動の意義 ~何をしていいか分からなくて良い~

1ヶ月ぶりの更新です。

この1ヶ月何をやってたんや、と疑問に思う方も僅かながらいる可能性が無くはない。

 

はい、ぶっちゃけ活動自体は特に進展なし。旅行を楽しんだりしてました(笑)
旅行の話は追々書くとして…

 

今日は僕が感じた協力隊の活動について書こうと思います。

 

多くの協力隊員の悩みとして「活動で大した結果を残すことが出来てない」「何をしていいか分からない」という声を聞きます。Facebookを見れば熱心に活動してる同期隊員がいて焦る...、何をしていいか分からない…。

そんな声を良く聞きます。そして僕自身も実はまだそれほど結果を残せるようなことは何一つやっていません。

 

でも、それでいいんじゃないかと思うんです。すげぇ言い訳っぽく聞こえると思うけど。

実はこないだタンザニアの南の端、ムトワラというところへ先輩隊員を訪ねに行っていました。モザンビークとの国境近くの海沿いの町です。ダル・エス・サラームから6時間高速バスでムトワラへ。さらに町から2時間ほどオフロードをバスで走った村へ、さらにそこから数km海沿いの道を進んだ先にその先輩隊員の家はあります。その海沿いの村へ行った時のこと。

月曜日という平日の中でも仕事を頑張る人が多い日にも関わらず村では樹の下で寝っ転がってる人ばっかり。「仕事しないタンザニア人」のイメージですかね。

きっと典型的日本人の価値観から彼らを見ると「怠惰」「不真面目」というマイナスのイメージで捉えることでしょう。子ども達は学校に行かずに村で走り回って遊んでました。「学校に行けなくて可哀想...。」「勉強しないといけないのに、遊んでたらダメだろ」

 

いや、ホントにそうか?
僕はそんな村を見て感じました。忙しく汗水垂らして仕事しなくても、友達と遊ぶ時間を削って熱心に嫌いな勉強しなくても、みんな幸せそうじゃないかと。

もちろん、村を探れば「問題」は色々と見つかるのかもしれません。けど、どんな「問題」があろうと彼らはホントに幸せそうなんです。

じゃあもうそれで、何も要らないんじゃないかと。下手に触れるべきじゃないと僕は思ってしまいました。

要するに活動に関して「何したらいいか分からな」くていいんだと。何をしたら良いか分からないってことは目に見えて即座に解決すべき大きな問題がないってことでしょう。幸せじゃないですか。

 

こんなことを書くと「協力隊は国民の税金で来てるんだから」と思う人も多いでしょう。「何か活動して結果を残さないといけない」と。
いや、違うだろ。協力隊として途上国のコミュニティに入って、そこで何が求められているのか、どういう人達がどういう暮らしをしているのか。それを「知る」だけで大きな意味がある。

2年間生活して「活動によって改善すべき問題点は何一つありませんでした。十分幸せな生活をしていました。」という結論に至ったとしてもそれも活動の一つの大きな結果です。

 

タンザニアの農村で4ヶ月生活する間に「~しなければ」「~でなければ」という固定観念が以前にも増してぶっ壊れて来た気がします。こんなことで日本に帰って社会に適応出来るんだろうか...。いや、無理だろな(笑)

と言いつつも僕の地域では農民たちが色々と望むので僕もそれに応えるべく活動の準備はしています。最近は鍬やらなたやらを振り回して手にマメだらけの日々を送っています。

 

だらだらと思いを綴っただけの記事になりましたが、ブログなんて自己満足のためなのでこれでいいんです。何か書きたくなった時に書こうと思います。暇と時間とあって気分が乗れば旅行の話と写真でも載せます。

 

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▲タンザニアの南端ムトワラ、インド洋に浮かぶ小さな島にて。