協力隊員活動記 ~キリマンジャロ山麓の農村で現地民と暮らした2年間の記録~

青年海外協力隊(2015年9月~2017年9月)でタンザニアに派遣されていました。キリマンジャロの見える農村で様々な課題解決に取り組みました。

言語の壁とやる気ダウン

実はここ1ヶ月くらいずっと気が落ちていました。辛うじて食事はするものの、家の掃除もする気に慣れないし、ましてや活動はほぼ何も出来ていなかったと言っていいでしょう。ま、もう完全に復活しましたが(笑)

 もともと僕は気分の上下がコーヒーの国際価格の変動並に激しいのでまあいつものことと言えばいつものことなんですが、自分なりに自己分析してみました。

 活動内容だけでなく 、僕が感じたこと、悩んだこと、失敗したこと全てをありのままに記事にして伝えたいというのがこのブログの趣旨だと思っているので今回はこういう内容です。

 

◯ 言いたいことの数%しか伝えられない

 活動の中、言いたいことは山ほどあります。自分のことや農業のこと、活動のこと、日本のこと。しかしそれら全てをスワヒリ語で行うことに限界を感じていたところがあります。こんなことを言うと、派遣前訓練で初めての言語を学び、派遣国で新たな言語を学び、本赴任後地元の言語の習得を強いられている隊員にとっては、何を贅沢な!と思うでしょう。

 いやでも、そういう人達、ホントすごいと思います。

 

◯ コミュニケーション不足

 しかし問題なのはきっと語学力じゃありません。語学力は十分なはずですから。なので僕自身の性格や仕事の仕方に問題があるんです。全ては自分の責任です。

 以前紹介した、キマンボ(下の写真右の人)。彼はボランティア精神が豊富だし、一切お金や物を要求してくることはありません。今日は彼との活動について、書きたいと思います。ここ最近の事実上のカウンターパートでもあったので。

 

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▲ボロボロになった有機農業NGOのポスター片手に農民に有機農業の重要性を必死に説くキマンボ(右の人)。

 

◯ ひたすら農家訪問

 キマンボは村でも最下層レベルの貧乏な有機農家。とても貧乏だけど、物乞いは一切して来ません。そしてコミュニティのために仕事をしようというボランティア精神が旺盛なんです。頼れる人がいなかった僕は、とりあえずしばらくは彼について村を動くことにしました。

 ところがそんな彼にも問題が。

 計画性がまるでないんです。当初は彼の親戚めぐりから始まりました。昼食も食べずに6,7時間も山道を歩いて20戸近い農家を訪問したりしました。帰宅すると辺りは暗い、なんてことはしょっちゅうでした。
 そして「FFS(Farmers Field School)を開催したい」という彼をサポートするために動いていた訳ですが、どうも行動が効率的だと思えないし、意味があると思えないものも多い。

 農家を巡るのは分かるのですが、30軒も40軒も訪問する意味がわからないし、時には学校を訪れたり。平日の昼休み、小学校の職員室にズカズカと乗り込んでいって有機農業の説明をし出したり...。もちろん先生たちはポカンとした顔です。

 NGOの事務所に行こう!と言われ、バスに乗って街まで連れて行かれたこともありました。「何のために行くの?」「もう少し計画的に、目的を持って行動した方がいい」と伝えるのですが、どうも良く分からない返事しか返って来ません。語学の問題なのかとも思っていたのですが、そうでもありません。

 こうして良く分からないまま動き続け僕は疲労していくのでした...。

 

◯ 全ては自分の責任

 しかし、全ては僕の責任です。今生きている環境全てが僕が選び僕が歩んで来た道です。

 彼の目的をよく理解しないままただ従っていたということが問題だったんだと思います。活動の方向性も定まらず暗中模索状態だったということも一因でしょう。

 しかしこうして壁に当たり行き詰まったり、疲れて先が見えなくなったり、コミュニケーションが上手くいかなかったり...。僕が通った道、考えたこと全てが協力隊としての活動の経験になります。上手く行き過ぎたら面白くないってのもあるしね。

 でも結果的にはキマンボのおかげで活路が開けた気がしています。活動の方向性も定まってきたので、また報告したいと思います。

 ということでこれからも失敗して悩みながら頑張っていこうと思うのでどうぞ宜しくお願いします。