協力隊員活動記 ~キリマンジャロ山麓の農村で現地民と暮らした2年間の記録~

青年海外協力隊(2015年9月~2017年9月)でタンザニアに派遣されていました。キリマンジャロの見える農村で様々な課題解決に取り組みました。

野生児たちと共に川の探検へ ~ある日の村調査~

◯ 旱魃は畜産にも影響

 - 今日は少し違うところを見てみよう。ー
そう思って麓の地域の中でも、標高が低めの平地にある畑を見て回っていた。
 そこで出会った、20頭近くのヤギを放牧する農民。それでも最近の旱魃の影響で飼育できる頭数も減っているという。雨が多かった頃は30頭以上はいたんだとか。
 放牧民にも水不足は大きな打撃になっているようだ。やはりこの村の農業は水問題を解決しないと、進まないのかも知れない。

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▲旱魃の畑では草もあまり生えない。ヤギたちも旱魃には苦労させられてるんだな。
 
◯ 少年と川へ散歩へ行くことに。
 その遊牧民のおっちゃんと話してると学生っぽい2人が登場。
「この辺の雰囲気を見て回ってるんだ」と言ったら「じゃあこの近くの川を見に行ってみるといいよ」と言われ行くことになった。
 旱魃で困っていても川はあるのか…そう思いながら2人の学生が連れて行ってくれることになった。
 ウィリアムソン15歳とラプソン14歳。彼らに連れられ少し丘を下ると、見えてきた。川だ。
 おお、結構な流量がある。周辺の樹々も鬱蒼とし、まるで日本の沢に来たような感覚。乾季の今でも水量はしっかりしてるし、この水が使えたら野菜栽培もし放題なんだろうな、と思いつつ…ってか君らどこまで行くつもり?歩くペース速いし。
 

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 ▲川の両岸は樹々が鬱蒼と茂っており日本の沢を思い起こさせる。

 

しかも君らサンダルでよくそんなにホイホイ行けるな。(僕は長靴)

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▲ちょっとしたボルダリング。

 

もはや散歩ではない、探検だ。大学の時、探検部に所属し、沢登りや洞窟で学んだ技術を思い出し、3点支持を忘れず丈夫な樹の根元を掴んで壁を登る。それでも彼らの助けがあってこそ。足場とか、棘のある木とか。

 

 

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 ▲川にかかってた橋…否、木。

 

しばらく川を下ったところで、先頭を歩いていたラプソンが立ち止まり、突如樹に登り始めた。…??どうしたんだろ?ウィリアムソンはじっと休憩してる。すっかり上まで上がったラプソンが始めたのは果物の収穫。

 

 

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▲あっという間に上まで登ったラプソン。

 

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▲小さくて黄色いブドウみたいな果物をいっぱい獲ってくれた。

 

あのペースで歩きながらあんな上にある果物を見つけたというのか。すげえな。体力には自信があったつもりだったが、いや、まだまだだな。

その後果物を川の水で洗って食べ、引き返した。総行程1時間半程度だろうか。僕だからこそついていけたようなものの、並の日本人では結構キツかったろう、と思い返す。

身のこなしと植物の知識。生活に必要不可欠なものを当たり前に持っている2人にちょっと感動。

 

 

◯ 昼下がりの談話にて

川から引き返し、ヤギを放牧してたおじちゃんのところへ。近くにいた17歳の少年も一緒になってみんなで木陰の下でおしゃべり。世間話とか、日本のこととか、タンザニアの政治のこととか。おじちゃんがバナナ出してくれたりして、団欒を楽しんだ。

こうやってのんびりした1日を過ごしていると、どうしても疑問に思ってしまう。彼らに「助け」が必要なのだろうか。むしろ仕事を与えることでこういう麗らかな時間を奪うことにはならないだろうか、とか。日本で体を壊してまで仕事して鬱になって…、仕事するために仕事するなんて俺は嫌だな、とつくづく思う。人間らしく生きたい。金とか名誉とか何じゃそりゃって感じ。

 

【活動に向けて】

探検を楽しんだ1日だったが、その中でも活動のことは考える。やっぱ給料じゃないとはいえ、生活費をたっぷり貰ってる以上、仕事はしないといけないもんな。

「水がない」「旱魃」。一方で滔々と流れる川の水。掘れば出てくる地下水。乾季と雨季…。キーワードが頭のなかをぐるぐる回り、何か出てきそうで出てこない。歯車が噛み合うのも近い気がする。

今は焦らず情報を整理すればいい。まあそのうち何か案が出てくるだろう。