見えてきた配属先の課題 ~報告書、そして要望調査票の役割とは~
日本は大寒波到来のようですね。
僕がいるこの村も、標高1,100mくらいなのでアフリカと言えど朝晩は肌寒いこともしばしばです。
僕の家はお湯シャワーがついているのですが、入居以来電気のトラブルで使えていません。
最初の頃はわざわざ湯を沸かしてシャワーを浴びていたこともあったのですが、なんだか無駄に思えて来て今では毎日水シャワーです。たかが水の冷たさに敗けてガスの力に頼るなど、極めて贅沢かつ脆弱な精神による選択だと気付いたのです。
だって考えてみてください。水シャワーの前にトレーニングすれば全て解決するんです。体を温めて水シャワーを浴びる。なんと自然で無駄のない生活でしょうか。電気・ガス・機械…身の回りの多くの物質に頼りきった日本の生活では考えられないのかも知れませんが、よくよく考えてみると生きていく上で必要のないものばかりです。
「電気・水がないから不便で可哀想」なんてことをいう人もいますが、いやいやふざけんなよ、と。そんなもんに頼らざるを得ない生活のほうがストレスフルで不便だろ、と思えてきました。この自由な生活をした後帰国して、果たして日本の生活に適応できるのか...、それが最近の悩みです。
さて、本題に入ります。
赴任から3ヶ月経つと我々青年海外協力隊はJICA事務所に「報告書」なるものを提出する必要があります。2年間で計5回の提出義務があります。
◯ 報告書提出の意義
報告書の目的は次のように書かれています。
- ボランティア自身が自己の活動の管理及び評価を行う
- 事業関係者が情報を共有し、類似案件にフィードバックする
- 情報を広く国民へ開示する
まあ、このうち2. と3. はおまけみたいなもんです。メインは「1」の執筆者自身が活動を振り返るというところでしょう。
僕も報告書を書くことで新しく見えたことがありました。それが次に書く「配属先の課題」です。
◯ 配属先の課題 ~資金不足・行き詰まり~
5回提出義務のある第1号報告書の中に「ボランティアが所属する部局の事業内容及び課題」という項目があります。
僕はこれを見た時、自分が配属先のことを何も理解していないことに気が付きました。今までずっと村を中心に一人で動いていたからです。
なのでまずは、C/Pに連絡をとって配属先の県庁事務所農業課に顔を出すことに。すると今まで放置されていたと感じていた僕の立場も違って見えてきました。
これまでの活動で把握していた問題点を整理し、それに対する解決策と活動案をC/Pに伝えた後に配属先の事業や課題を聞いてみました。
すると分かって来たのが、
- 県内における農業の課題を整理出来ていない
- 課題を整理できていないのでどのように農業問題を解決していくかを明確にするアクションプランが作成出来ていない
- 活動しようにも予算不足で村を巡回するための交通費も自腹で払わざるを得ない
- なので何も出来ない
ということでした。彼らは仕事をする気がない訳ではなく出来る仕事がないだけなんだと思いました。
事実、僕がJICA事務所に送るレターなどを依頼した時も直ぐ様対応してくれます。
そこで僕の活動に新たな視点が加わりました。
配属先の同僚とともに地域の課題を整理しプランを立てていく、ということです。
◯ 懐かしの要望調査票
ん?これ何かどっかで見た文章...。そう思い、「要望調査票」(←協力隊に合格した後にもらえる書類。任地や配属先の情報、生活環境など様々な情報が記されている。)を久しぶりに読み返してみた。
そこにはこう書かれてあった…。
予定されている活動内容
同僚とともに以下の活動に取り組む
- シハ県内における農業の現状を把握し、課題を整理する
- 整理した課題を基に、アクションプランを作成する
- 同僚に対し、灌漑技術・知識のアドバイスを行ったり、研修を実施する
- 県の農業普及員とともに、村落部の農民を対象とした、灌漑技術・知識の研修を企画する
- 村を巡回し、研修成果導入のフォローアップを行う
- 前任者の取り組んでいるナサイ郡における農家自身による参加型フォローアップを行う
これを見た時、驚きました。
要請内容というものは事前に書類として知らされますが、我々の活動では「紙(要請内容)に縛られるな」とよく言います。必ずしも必要とされている活動が紙に書かれているものと一致しない、というかほとんどの場合単なる参考で、全く異なる活動をすることも多いからです。
また、必要とされている活動はボランティア自身が見つけ出す必要がある、ということでもあるんだと思います。
だから僕は要請内容なんて全く気にせず覚えてもいませんでした。
ところが今になって見返してみると、僕が今まさにやろうとしていることが書かれているではありませんか。(今は上の太字になっている1,2の段階)
これには驚きとともに、この要望調査票を書いたJICA職員(←でいいのかな?)には感心させられました。ここまで見越して要望調査票を作っていたのかと。
これからも要望調査票は全く気にせずに活動を進めていくつもりなのですが、ここに書かれている活動も一つの動きとして進めていくことになりそうです。
やることが山ほどあるので時間との闘い...。
でもせっかくの農村生活、のんびりする時間も忘れずに活動を続けて行きたいですね。
ということで家庭菜園始めました。
▲左から謎の豆、バジル、レモングラス、ローズマリー。料理用ハーブが主。
タンザニアの行事② ~結婚式~
1ヶ月ほど前の話になってしまうのですが、仲良くなった近所の農民の結婚披露宴に参加してきたので結婚披露宴までの流れを紹介しようと思います。
◯ 入籍のタイミングで資金集め
まずは結婚披露宴開催のための資金集めです。「私達〇〇は✕月△日に入籍いたします。つきましては~月・日までに祝い金をお持ち下さい」みたいなカードを渡されます(←写真撮るの忘れた...)
そのカードの入ってた封筒にお金を入れて家に持って行く。
◯ 素敵な招待状
◯ 前座の芸人集団
▲会場は参加者でごった返してます。総勢200名近くはいたかと思います。
タンザニアの結婚式は、とにかくやかましい。普段から音楽は大音量でかけるものだが、式となると一層デカい音量で音楽をぶっ放す。
▲前座のパフォーマー達
▲自撮り棒で写真を撮っているとこを撮ってくれと要求してきた青年(?)達
なんと、タンザニアにも自撮り棒があったとは…。
▲自撮り棒で撮影しつつ音楽に合わせて踊りながら行進する青年芸人たち
ちょっと待て。何か違うよ、おい。
◯ 新郎新婦の登場
滑稽な芸人集団が場を盛り上げた後は、いよいよ新郎新婦の登場!
▲新郎スワイ氏、緊張してます。
◯ 出席の目的は食事
結婚式では食事に加えてビールも出ます。半分以上の参加者は食事目当てなんだとか...。
▲式の最中、ダンサーも会場を盛り上げる。
結婚披露宴は夜通し続きます。夜中になっても音楽が止むことはありません。
僕は途中で帰宅することに。
◯ 結婚前に出産??
実は結婚に関して最も驚いたのは、結婚する前に既に子どもがいた、ということ。
僕が彼らの家に結婚の祝い金を持って行った時のこと。
祝い金を渡すと家の中に招待されました。迎えてくれたのは奥さんと3人の子ども。
「この子たちは?」
「僕達の子どもだよ。長男、長女、次男ね。」
「・・・??」
できちゃった婚どころか、3人も育っちゃった婚やないかい。
長男はもう8歳(だったと思う)。
後々聞いてみると、結婚する前に奥さんの出産能力を確かめるために子どもが何人か出来てから結婚式を挙げることはよくあることなんだとか。もちろん、子どもをつくるまえに結婚することも出来るんだと。
へぇ~、まあそんなもんか。
文化の違いを感じた結婚式でした。
農民の暮らしを知るということ ~マハラゲの収穫作業~
◯ 収穫は共同作業
小雨季が終わり、畑にはマハラゲ(豆)の収穫に勤しむ農民の姿が見受けられます。農家の畑は人にもよりますが、1~2acre(1acre≒0.4046ha)ほどの広さ。
▲小雨季の雨が終わり枯れてしまったマハラゲ。農民はやむを得ず収穫する。
太陽が照りつける中、腰をかがめて豆を引き抜いて行くのは骨の折れる作業、のようです。子どもは学校に行くし、労働人口が少ない家族だと大変...かと思えば、そこはさすがアフリカ農民です。
誰かが収穫してると通りすがりの人が次々と手伝いに来るんだとか。別に約束がある訳でも、お金を払う訳でもありません。そうして村人同士で助けあって生活してるんですね。
◯ 収穫すれば終わり…と思ったら大間違い!
農業は作物を栽培して収穫するまでが一つの流れだと思っているあなた!それは間違いです。
豆を収穫したら、次はさやから豆を取り出す必要があります。
どうやってさやから豆を取り出すの?まさか、さやを1つずつ手で破って豆を取り出して....??
いやいや、そんなことやってたら途方も無い作業になってしまいます。
じゃあどうするのか。
とにかくぶっ叩くんです!
▲収穫後の豆をさやから出すために棒で打っ叩きまくる老翁と青年。
こうすると
さやから豆が落ちるんです。
これを後でふるいにかけて集めます。もちろん収穫ロスはありますが、作業効率を考えるとこれがベストな方法なんだと思います。(でもこの方法を何か改善できれば農民は楽になりそう...)←こういう視点は一緒に仕事してこそ生まれるもの
◯ 農作業のメリットとデメリット
この豆をぶっ叩いている木の棒、実は結構な太さ。農民が両手で振ってたやつを片手持ちにして両刀使いで4~6倍くらいの速度でぶっ叩いてたと思います。これ意外としんどい...。
農作業を手作業で行うメリットですが、
1.機械を動かす費用がかからない
2.体を鍛えることが出来る
3.食べ物の有り難さが分かる
今回の作業で両手に10箇所ほど手に肉刺(マメ)が出来ました...。豆をぶっ叩いてマメが出来るとは...(´・ω・`)
今回鍛えた箇所は
1.前腕部
2.背筋
3.三角筋
4.手のひら
です。さらに棒術のスキルも上がりました。
体を鍛えたい人、強くなりたい人に言います。
生活を楽して、金払ってジムに通ったりトレーニングマシン買ったりしていませんか??
体を鍛えたいなら農作業を必死にやって下さい。
あ、手作業のデメリットは大規模農家になると雇用労賃が大きくなるってことですかね。
ということで2年間鍛え続けようと思います。
ちょっと趣旨と違った結論になった気がしますが、まあ良いでしょう。
NGO対JOCV ~協力隊員に出来ること~
気付けば日本を発ってから、4ヶ月近くが経ちます。早いものです...。
最近は活動が多くて
◯ 教会系NGO ”Floresta”
1984年にアメリカで発足した"Plant with Purpose"というNGO。農民グループを結成して有機農業を学んだり森林保護のために植樹したり。農民グループは共通の銀行口座を持ち有機農産物を共同販売、利益は山分けしています。
▲植樹する苗木を生産する農民グループ。
そして先日、Florestaの年に一度の展覧会に参加してきました。Florestaの代表の話や、優秀農民グループの表彰、有機農産物の販売や苗木販売などを行うイベントで、数多くの農民がキリマンジャロ州の各地から集まりました。
▲有機農産物の販売。
▲すごい人数の会員が集まった。
◯ NGOの動きと協力隊員の役割
協力隊の任地、活動環境は本当に人それぞれだ。配属先から放置される、農業の専門家を要請したはずなのに農業の素人が来た(僕の前任者の例)、赴任して見るとそもそも配属先が存在しなかった、配属先は誰も仕事しない、農業隊員で配属されたが、とても農業ができる土地ではない、など。
その点僕は、様々な農作物を作って農民たちも活発に活動していて、本当に恵まれた環境で活動させてもらってる。
しかし、こんな環境でも悩み事はある。
メリット:農民たちのやる気がある、様々な農作物を作っており新しい農作物の導入も行いやすい、近くに都市があるので市場アクセスがある。
デメリット:少し援助慣れしてる一面も見受けられる。「どんな援助してくれるの?」とか「どういうプロジェクトで来てるの?」とか鋭い質問を投げかけられることも多い。農民たちが既に自分達で様々な活動をしているのでちっぽけな活動ではたいして意味が無い。農民からの期待も大きくプレッシャーを感じる。
いずれにせよ、要はものの見方だ。地域の強みを活動に最大限に活かしていきたいと思う。
言語の壁とやる気ダウン
実はここ1ヶ月くらいずっと気が落ちていました。辛うじて食事はするものの、家の掃除もする気に慣れないし、ましてや活動はほぼ何も出来ていなかったと言っていいでしょう。ま、もう完全に復活しましたが(笑)
もともと僕は気分の上下がコーヒーの国際価格の変動並に激しいのでまあいつものことと言えばいつものことなんですが、自分なりに自己分析してみました。
活動内容だけでなく 、僕が感じたこと、悩んだこと、失敗したこと全てをありのままに記事にして伝えたいというのがこのブログの趣旨だと思っているので今回はこういう内容です。
◯ 言いたいことの数%しか伝えられない
活動の中、言いたいことは山ほどあります。自分のことや農業のこと、活動のこと、日本のこと。しかしそれら全てをスワヒリ語で行うことに限界を感じていたところがあります。こんなことを言うと、派遣前訓練で初めての言語を学び、派遣国で新たな言語を学び、本赴任後地元の言語の習得を強いられている隊員にとっては、何を贅沢な!と思うでしょう。
いやでも、そういう人達、ホントすごいと思います。
◯ コミュニケーション不足
しかし問題なのはきっと語学力じゃありません。語学力は十分なはずですから。なので僕自身の性格や仕事の仕方に問題があるんです。全ては自分の責任です。
以前紹介した、キマンボ(下の写真右の人)。彼はボランティア精神が豊富だし、一切お金や物を要求してくることはありません。今日は彼との活動について、書きたいと思います。ここ最近の事実上のカウンターパートでもあったので。
▲ボロボロになった有機農業NGOのポスター片手に農民に有機農業の重要性を必死に説くキマンボ(右の人)。
◯ ひたすら農家訪問
キマンボは村でも最下層レベルの貧乏な有機農家。とても貧乏だけど、物乞いは一切して来ません。そしてコミュニティのために仕事をしようというボランティア精神が旺盛なんです。頼れる人がいなかった僕は、とりあえずしばらくは彼について村を動くことにしました。
ところがそんな彼にも問題が。
計画性がまるでないんです。当初は彼の親戚めぐりから始まりました。昼食も食べずに6,7時間も山道を歩いて20戸近い農家を訪問したりしました。帰宅すると辺りは暗い、なんてことはしょっちゅうでした。
そして「FFS(Farmers Field School)を開催したい」という彼をサポートするために動いていた訳ですが、どうも行動が効率的だと思えないし、意味があると思えないものも多い。
農家を巡るのは分かるのですが、30軒も40軒も訪問する意味がわからないし、時には学校を訪れたり。平日の昼休み、小学校の職員室にズカズカと乗り込んでいって有機農業の説明をし出したり...。もちろん先生たちはポカンとした顔です。
NGOの事務所に行こう!と言われ、バスに乗って街まで連れて行かれたこともありました。「何のために行くの?」「もう少し計画的に、目的を持って行動した方がいい」と伝えるのですが、どうも良く分からない返事しか返って来ません。語学の問題なのかとも思っていたのですが、そうでもありません。
こうして良く分からないまま動き続け僕は疲労していくのでした...。
◯ 全ては自分の責任
しかし、全ては僕の責任です。今生きている環境全てが僕が選び僕が歩んで来た道です。
彼の目的をよく理解しないままただ従っていたということが問題だったんだと思います。活動の方向性も定まらず暗中模索状態だったということも一因でしょう。
しかしこうして壁に当たり行き詰まったり、疲れて先が見えなくなったり、コミュニケーションが上手くいかなかったり...。僕が通った道、考えたこと全てが協力隊としての活動の経験になります。上手く行き過ぎたら面白くないってのもあるしね。
でも結果的にはキマンボのおかげで活路が開けた気がしています。活動の方向性も定まってきたので、また報告したいと思います。
ということでこれからも失敗して悩みながら頑張っていこうと思うのでどうぞ宜しくお願いします。
タンザニアの行事① ~最重要行事、クリスマス~
最近少し疲れ気味でブログの更新が止まっていました。日本を離れもう3ヶ月以上経ちました。ちなみに「日本に帰りたい」などたったの一度も思ったことはありません。
それどころか、「帰りたくない」という思いが日に日に強まっているように感じます。ま、それほどタンザニアでの生活が充実してるということでしょう(笑)
さて、今回はタンザニアの行事について書きます。
日本の大きな行事といえば、この時期だとやはり正月ですよね。
タンザニアでは違います。1年の中で最も重要な行事がクリスマスなんです。
クリスマスは、イエス・キリストの誕生を記念する生誕祭。キリスト教徒(この辺はLutheran Church ルーテル教会)である彼らにとっては重要な1日なのです。
日本では正月になると実家に帰って家族や親戚に挨拶しに行きますよね?ここではそれがクリスマスなんです。町へ出稼ぎに出ている若者もみな村へ帰って来ます。
1.家を飾る
まずは家の前にバナナの樹を植えて花を飾ります。ちなみに僕がクリスマスの間滞在していた家にて。
こんな感じ。
バナナの樹や花はその辺(畑)からとって来ます。日本の「もてなしの心」
と言いますが、彼らももてなしの心は負けていません。ガーデニングには力をいれますし、家の掃除や飾りつけは欠かせません。
2.教会に行く
家の飾りつけが終わったら着替えて教会に行きます。
教会の飾りつけもクリスマスバージョン。この後この椅子は人で埋め尽くされます。ちなみにこの日のミサのために、前日に村の若者たちが集まって教会を掃除していました。
キリストの生誕を祝うお祈りから始まり、神父の話を聞きます。もちろんスワヒリ語だし、結構疲れてたのでほとんど居眠りしてて内容は理解できず。まあ、まとめると「ハッピークリスマス」ってことでしょう(笑)
しかし、ゴスペルの時間が何度かあり、ママグループが前でゴスペルを披露したり、参拝者全員で歌ったり。教会に響く歌声が印象的でした。
その後は寄付の時間です。この寄付ですが、日本人には考えられないくらいの寄付の額になります。寄付の機会は何度もあり、僕が見た限りは3回ありました。
1度目はクリスマス・プレゼントとしての寄付。神父(←教会にいる人は全て神父で良いのかな?)が封筒を配り、寄付をする人は封筒をもらってその中にお金を入れて前に持って行きます。これは殆どの人が持って行ってました。
2度目は、通常の寄付。教会に行ったら必ずする少額の寄付・これは全員が行います。僕も周りの人に合わせて席を立って寄付しました。
そして3度目が、有志による寄付。お金に余裕がある人だけが行う寄付…のはずなんやけど…、全員行ってる!?おいおい、2回分も寄付するためのお金持って来てない...*1
仕方なくみんなが前に出て行って寄付する間、僕は座って待つことに。逆にすごい目立つ...。しかも何とお金を持って前に持って行くと、神父がマイクでその人の名前と金額を読み上げるんです。金額が大きいと聴衆の拍手も大きくなります。まるで寄付大会。人によっては中古の冷蔵庫が買えるくらいの値段を寄付する人も。
こうして集められた寄付は教会の運営費や今回は神父さんの退職祝いのためのパーティー代として使われるんだとか。教会で寄付をすればお金の周りがよくなるということらしい。
あれほどの金額を平気で寄付できるのってすごいと思う。キリスト教のことはよく知らんけど、日本にはあまり見られない相互扶助の強みを感じた。
3.ご馳走、そして酒
そしてこの日は村のあちこちでニワトリやら牛やらヤギを解体しています。ご馳走を食べるんです。夜になるとひたすら酒を飲みます。僕もひたすらビールを飲まされました。「クリスマスは朝まで飲み明かすんだ」とか言って。日本で言う大晦日のテンションなんでしょうかね。
こうしてクリスマスは終わります…と思いきやクリスマスの祭りの雰囲気はその後も続きます。27日になってもハッピークリスマスってノリです。
4.ちなみに正月は…
正月はクリスマスほどは大きな行事ではない、とは聞いていたのですが、その通りで、「明けましておめでとう」って挨拶するくらいです。電話やメールでも「あけおめ」って挨拶してくるのは日本と同じですが。
そして正月休みは元日のみ。通常なら2日から業務が始まるようですが、ちょうど今年は2日、3日が土日だったので4日からの業務再開です。こっちへ来てから思うことですが、みんな思ったよりも働き者です。
*1:+_+
一人の農民との出会い ~有機農業普及運動の始まり~
▲変わった模様の豆。これから絞れる油が高く売れるんだとか。
◯ 有機農業の畑へ
一通り彼の畑の紹介が終わった後連れて行かれたのは、彼の親戚の家。20分ほど歩いて辿り着いたその場所は、驚くほど素晴らしい農場だった。
▲それほど高くはないパパイヤの木に果実がびっしり。
▲放し飼いではなく、平飼い鶏舎で効率よく育てられる鶏。
さらに驚いたことに、この農場では何と、バイオガスまで導入されていた。バイオガスとは、牛の糞尿から発生するメタンガスを燃料として利用するシステム。基本的にこの辺りでは調理には薪を利用する。バイオガスはガス代の節約、ひいては薪の節約、森林保全に繋がるのだ。
▲バイオガスの設備。牛の糞尿はもちろん肥料になる。
▲パイプが台所までつながっており、バイオガスで調理する。
▲ヒヨコの飼育に使われるこの電気もバイオガス発電によるもの。
◯ 有機農業の普及活動の始まり
この素晴らしい農場を見て思ったことがある。現地には適した技術が既に存在する。僕が新たに教えられることなんてない。しかし同時に思ったことは、情報(知識)格差が激しいように思われる。
目指すべき目標は全ての農民がこうした農業技術を持って、適切な農業ができるようになること。
彼らが有機農業をする理由、それは「農薬の毒性」・「環境保全」が中心に置かれている気がする。アフリカを始めとする途上国では依然、人体への毒性が強い農薬が使われていることが多い。そのせいで様々な病気が引き起こされるという現状もあるようだ。
そして僕を連れ回してくれた彼、キマンボは誰よりもそのことを強調し、村のために、人々の健康のために有機農業の重要性を説いて回るのだという。
▲有機農業を普及するNGO「EnviroCare」のポスターを手に農民に有機農業の重要性を説くキマンボ。農民は食い入って聞いている。
キマンボが言うには、農民たちは皆、畑に、野菜に「毒」を撒く。除草剤・殺虫剤、これらは農業の敵を殺す目的で使われているように見えるが、皆その「毒」まみれの野菜を食べている。彼らは自分自身に「毒」を撒いているんだ。そのことは農民は皆、賛同する。ただ、どうすればいいのか分からない。
彼は言う。「村民に足りないのは金でもトラクターでもない。教育だ。」
◯ 技術補完研修での学びと篤農家との出会い
後々分かって来たことだが、彼、キマンボは相当貧乏だ。多分村の中でも一、二を争うくらい。しかし、彼は巡回説教者(Evangelist)もしており、ボランティア精神が強く、とにかくよく働く。
JICAの技術補完研修で、僕は有機農業を学んだ。栃木県にある「アジア学院」。途上国のための農村指導者養成施設で、アジアだけでなく世界中の途上国から有機農業を学びに農村のリーダー達がやってくる。彼らが9ヶ月の研修を受ける中、協力隊は3週間だけの研修プログラムだったがとても多くのことを学んだ。肥料やボカシの作り方、もみ殻くん炭や発酵飼料の作り方を学んだ僕は、有機農業技術の普及を視野に入れていたのだが、これはもう僕が直接教えることはほとんど無さそうだ。
アジア学院で言われたことを思い出す。「自分だけでやろうとするな。任地に行ったら篤農家を探せ。」
篤農家とは、率先して様々な技術を試み、研究熱心な農家のこと。コミュニティの技術普及にとって、非常に重要な存在となる。そんな農民に出会えたことは非常に幸運だと言えるだろう。
今後は彼と動いていくことになりそうだ。活動の大きなきっかけになる彼と繋がったことは非常に大きな前進である。