協力隊員活動記 ~キリマンジャロ山麓の農村で現地民と暮らした2年間の記録~

青年海外協力隊(2015年9月~2017年9月)でタンザニアに派遣されていました。キリマンジャロの見える農村で様々な課題解決に取り組みました。

「タンザニアでコレラ流行」の報道 ~蘇る3年前の悪夢~

    タンザニアでコレラが流行しているようです。

 

 

 コレラと言えば思い出すあの日…。

 

あれは3年前…(実は今回タンザニアに来るのは2011年、2012年、2014年に続いて4度目)

バックパッカーとしてタンザニア国内を歩き回っていた僕は、野生動物を見るため、ムトワンブという村に滞在してた。

村の中心部には旅行会社があり、そこでサファリに申し込んだ。マウンテンバイクに乗って、国立公園に入らずに格安でサファリを楽しめるものだ。ガイドと2人で行くそのサファリで、シマウマやトムソンガゼル、カバなどの動物を目の前に見てアフリカの大自然を満喫した僕は滞在していた格安宿に戻った。


f:id:SHU-S:20151129151001j:plain

▲友だちになったガイドと。マニャラ湖国立公園を背景に。
(2012年8月24日撮影)

 

外も暗くなった頃、僕の部屋をノックする人が。

十分な警戒心を持ってそっとドアを開けると、友達になったガイドだった。

「タンザニアの夜を楽しもう!安全は俺が保証する」
そう言われ町へ出る。何軒かバーを回り、彼や彼の友だちにビールを散々奢ってもらった。

 

翌朝。頭が重い・・・体調が優れない。二日酔いか。と、思いつつもその日1日はガイドの友だちと一緒にご飯食べたり、滝に案内されて歩き回ったり。しかしやっぱり体調が優れないので夕方早めに帰って寝ることに。


その翌日のことだった。二日酔いはマシになるどころか重症化していた。激しく頭がフラフラする。38度を超える発熱も。何よりお腹の調子が最悪でずっとギュルギュルいってる。
とりあえずトイレに…と思い立ち上がるが、激しい目眩で廊下を真っ直ぐ歩くことも出来ず壁伝いに何とか共用トイレに到着。もちろん激しい下痢だった。
とりあえずベッドに戻り、これはどうしたことか、と思考を巡らす。何かの病気に違いない。マラリア?…でも頭痛はない。病院に行ったほうがいいのか?何しろアフリカやし…。

とりあえずガイドの彼に連絡すると宿まで来てくれた。「マラリアじゃないよ、しっかり水飲んで休めば大丈夫だから。」

そう言われまたベッドに横になる。しかし、お腹の調子が一向に改善される様子がない。


ここから3日間は過酷だった。とりあえず安宿への滞在を延期させ、ひたすら寝ることに。しかし、トイレへ行ってベッドに横になるとすぐにお腹がギュルギュル...。トイレとベッドの往復…。ほんの数mの距離が辛かった。

ガイド友達が買ってきてくれた少しの果物と水以外は口にしてないのに、水状の下痢は全く治まる気配はなかった。まるで体内を水で洗浄し続けているような感覚...。

まとまった睡眠時間を取ることも出来ず、1日何度トイレに行ったか知れない。この時はさすがに日本の実家が恋しくなった。そんな状況でも、自分の症状を冷静に見ることは忘れなかった。

「直感的に死ぬことはなさそう。なら大丈夫、そのうち治る。」
「きっとこれは水や環境の変化に体が慣れてなかっただけだ。水で体内を洗浄すれば、菌を出しきってしまえば治る。」

「下痢止めなどを飲んで変に症状を止めてしまってはいけない。出すものは全て出してしまおう。」

 

結果的に三日三晩、ほとんど水しか口にせずトイレとベッドの往復を繰り返すうちにやっと動けるようにまで快復した。

 

あれ以来、一体何の病気だったんだろうかと考えていたが、コレラの症状を聞いた時「コレだ!」と思った。
日本では腐って味が完全に変わったシチューを食べても僕だけはお腹を壊さない程だったので、きっと二日酔いで弱ったせいでコレラに負けてしまったんだろうと思っている。ご飯を手で食べたり、山でガイドに貰った木の実食べたりしてたし。

 

僕の持論では、基本的に気合いがあれば病気にはかからないし、体力があれば病気にかかっても治る。医者嫌いで、自然治癒力を高めるのを基本とする母親の教育を受け続けて育ったからかも知れないが。

 

そう言えばあの時、快復記念にと、撮影した写真があった。

あの時は

あれ?顔の形がおかしいな。この鏡がおかしいのか、カメラのアングルの問題か。まあいいか。

としか思ってなかったが、今思えば相当痩せていたのだろう。

f:id:SHU-S:20151129150934j:plain

▲快復直後の僕。(2012年8月28日撮影)

 

この2年間、病気には十分注意して過ごしたいと思う。各国で活動する隊員たちも、病気には十分気をつけて欲しい。